poemblogへようこそ。ご訪問くださり、ありがとうございます。さて今回は、詩10篇と雑記1なります。ご覧になって何かを感じていただければ、とても嬉しく思います。さまざまな事象をモチーフにして書いています。12年ほど前のつたない詩の作品です。よろしくお願いいたします。【19回目の投稿】
不安を人に語る
心に起きる
宙をも狭く感じさせる不安
時は何も言わずに過ぎ去る
時が解決できぬこともある
安心が得られぬ故に瞋り狂う
他者にもこの思いをさせるべしと企てる
あれこれ唆し引きずり込む
その報いなるか瞋りが大きくなる
身動きできぬほどに
横着になる勿れ
不安を人に語れ
孤立するな 孤立するな
女神の言葉
女神は存在する
優しく微笑む貴女は
女神でなければ何でありましょうか
傷ついた人の
その心に寄り添い
共にこの戦場で戦いましょうと
幸福を手にするために戦いましょうと
希望をはなったその一言は
慈悲の発露でなくて何でありましょうか
人間の力を知悉したる
女神のごとき貴女の崇高な心で
不思議な力を得て起ち上がったのです
無限の可能性の一考察
最早これまでか
断崖絶壁に立たされている
いま自分自身に
無限の可能性があると言えるか
合理的に見れば
医学的に見れば
経済的に見れば
可能性は見出せないだろう
無限の可能性を呼び起こすと言っても
スローガンでは駄目だ
生き抜くこと
それが無限の可能性ではないのか
踏ん張りどころ
現状は厳しいという言葉に以外ないが
未来までがそうとは限らないだろう
とは言えあの華々しい
過去の自分のようにはできないだろう
どのようにすべきかも明確ではないが
運命が放つエネルギー以上のエネルギーを
この凡愚である私に持てるようになれば
必然的に前に進むことができはずだ
ある時から劇的に変わると思っている
ただ現状の厳しさには
自分だけの問題ではないことがあるゆえに
エネルギーを
そこにも使わざるを得ないことで
果たして
持ちこたえることができるかどうか
悪人の末路の一考察
悪人は純朴で善なる人の言動を恐れる
その純朴な言動ひとつひとつで
やがてもだえ苦しみ
自らの悪行が明白になるからである
いかなる罪名となるか
いつ断罪されるか
現実を突きつけらる
正真正銘
善人でないという意識と
その恐怖のなかでやがて息絶える
これが悪人の末路
地位ある者の安堵
地位が高くなればなるほど
己のエゴに気をつけなければなりません
そのエゴによって
多くの人を傷をつけることがあるからです
現実は地位が高くなれば
取り巻きは
イエスマンしか置かなくなるのです
謙虚さもパフォーマンスでしかなくなり
たちが悪くなるのです
でも
それで安堵するというのです
目を見開いて
夜空にあるすべての星を感じる心には
妥協と迎合がないのです
どこかで聞きかじったことや
誰かの教えを繰り返すことや
メディアと大衆に晒された情報などに
オリジナリティーなどないのです
開いていくことを止めてはならないのです
無限の広がりのある純粋な地点から
目を見開いてみるのです
目を閉じてしまえば
瞑想でしかないのです
一つの線も
一つの音符も
一つの言葉も
闇のなかで鏡を見ても姿は映らないのです
目を見開いてみれば
一つの線にも
一つの音符にも
一つの言葉にも
あなたの姿を映す鏡が
それらにもあるのです
恋愛中結婚後
たいていラブロマンスは
結婚するまでの交際期間で
それは緊張と興奮に満ちている
スケジュールのどれもが
光り輝いていて手帳を何度もみる
その後の長い期間にわたる
結婚生活は違う
大人になればなるほど
いまも働いている君
いまから働く君
昨日から今日に変わったというのに
昼間の仕事じゃ時給が安いから
支えていくしかないから
いつまでもできる訳がないよ
いつか夕方に終わる仕事を
夕飯の支度も楽しんでできるように
夢を叶えるってどうすればいいのかな
大人になればなるほど
夢とは違う道を選択している
社会を知れば知るほど
空虚さを埋める方法を覚える
絶体に負けないわたしなの
絶体に負けないわたしなの
わたしって
絶体に負けないのよ
不思議に思えるでしょう
現実としては
不安や悩みは沢山ありますわ
ただ
いつも楽しんでいます
ただ
いつも感謝しています
ただ
いつも欲張らないでいます
そして
自分を責めないのです
責めたくなることがあっても
自分を決して責めないのです
失敗するわたしも
わたしだしね
生きていることが
素晴らしいと心からそう思えば
なにもかも
輝いて見える
負けることなどないことを
わたしは知りました
日常のあれこれ(雑記)
自分の性格で悩むということは、誰にでもあることだと思います。場合によっては、その性格が本当に嫌で、卑下することもあると思います。でも性格は、なかなか直るものではありません。私的には、直せるものではないと思っています。もしそうなら、悩んでいる性格を抱えたまま生きていかねばならないことになります。
ところが、自分では欠点だと思っていた性格のある一面が、他者から見ると、必ずしも、欠点とは認識されていないことがあります。ある人から見れば、その一面を羨ましがられることだってあります。ですので、自分の性格というのは、自分と他者とでは一致しないことがあり、一概にこうだとかああだとかと決められない側面があります。
自分の性格で悩むということは人間の性かもしれません。でも、性格には良い点もあることを忘れないようにしたいものです。悩むこと自体決して悪いことではありませんが、広い心で自分の性格のさまざまな点を包み込んでいくことによって、より自分を知り、悩んでいた性格のことも、見方が変わっていくことがあるのではないかと思います。さらには、自分の中に強靭な軸のようなものができ、それがしっかりしていれば、あらゆる性格が、より良き方向へと活かされるのではないかとも思っています。
【編集後記】最後までご覧くださり、ありがとうございました。年末恒例のM1グランプリを視終わって、コツコツと作成していました。時代の流れもあると思いますが、形として、漫才かそれとも漫才コントか、いろいろと考察できそうですが、私的には、正統派と言いますか、いわゆるしゃべくり漫才を楽しみたい方です。
おかげさまで19回目投稿も、無事に終えることができました。これからも、やはり、更新速度はゆっくりではあると思いますが、それでも、またご覧いただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。