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poemblogへようこそ。ご訪問くださり、ありがとうございます。さて今回は、詩7篇と雑記1となります。ご覧になって何かを感じていただければ、とても嬉しく思います。さまざまな事象をモチーフにして書いています。つたない詩の作品ばかりですが、どうぞよろしくお願いいたします。あなたの心に届きますように。【3回目の投稿】

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接続の脈を見落とし
右を見たり
左を見たり
後ろを見たりしている
行き場を失った
迷いを見ることに怯えている
沢山いる
よくそのような人を見る
鏡に映された顔を見て呆然とする
顔には生気がなく活力がない
鏡はその顔を映し出すことに
躊躇いがあった
大嵐の海に一艘の小舟が震えながら
脳裏に浮かぶ様子を見るべくして見ていた
ほどなくぼうっとして見るようになった
両肩の天は
正鵠を射るようにして見ている
逐一報告を挙げている


「緩慢はどこか遠くへ行きました
宿命の濁流を飛び越えようとしています
濁流が私の未来への意志より強くとも
無意味ではありませんから飛び越えます
失うものは何もありません
力を振り絞り濁流を飛び越えるだけです」

人生の時計を
逆戻りさせることはできはしません
時計の針の行進
これを味方にすべきなのだ
敗者のように見えようとも
胸底にある
不可思議な時間の法則によって
まったく正反対の結果を生み出す
そうなるのです

昨日の太陽 今日の太陽

昨日の太陽は視力が弱かった

今日の太陽は火力が強い

長く記憶される美は

心根の優しさの基となる

苦悩にさえ見放されたるは

その瞬間より

手に出来るものは何もない

取り戻すべきは生命の力

人工的な威厳や顛倒した支配欲ではない

貧しき人と病める人を友としている

古より愛の神の涙が

止まったことはないのです

孤独のぬくもり

ひとり孤独に温もりを追求する

生の息吹と穏やかな精神が伴侶となる

眠りこけることなく

人々の傍らにもいて

柔らかな口調で

温もりを送りつづける

無垢な声

神殿とほど遠い処から

はっきりとしない細く聴き取りづらい声

幼子のような北風にすら飛ばされ

虚構の裂け目に引きずり落される

ところが無垢な声が

ひとつながりとなって

個々人の尊厳に

無関心なお芝居に警告を発する

怒りはかくも大にして

我々が呼び合っている人間性の巌となり

あばくべきをあばき魔性の原理を砕く

加工された直近の常識

この社会の冷酷無比さに

感覚を麻痺される

加工された直近の常識では

人までも推し量る

善を悪とし悪を善とする図式

人権の行使さえも

加工された直近の常識によって

阻止されていないか

どこでどのように起きているか

誰かが起こしているのは間違いないが

苦しんでいる人は多数である

証明

何のため

何のためかの答えをつかもうとしている

周囲からは

もう駄目でしょうと

楽になればとささやく

ひと言私は叫んだ

人間が変わるということを

人間は変われるということを

私も証明をしてみせるから

見ておいてくれたらいい

人間

人間は欲深いかもしれない

人間ほど欲深い存在はないかもしれない

永遠に枯れることのない

幸福を欲している

物を

衝動的に手に入れたいとある瞬間に思うと

熱が冷めない限り

そのことばかりが気になり

そのことばかりを考え続けてしまう

欲望に支配されている状態を

自らが作ってしまう

欲深さとともに

慢心も人間には内在している

慢心は幸福と真逆の方向へと

わが身を突き進ませる

欲望がわが身を真っ黒こげにするなら

慢心は目的地を見失わせ暴走させ

我が身を脆弱な土台の上に登らせ



偉しと振る舞い続けさせる

臆病の心を覆い隠すためだが

ひたすらわが身のエネルギーを

浪費させて我が身を滅ぼしていく

こちらもご覧くだされば嬉しく思います。

甘さ控えめ

日常のあれこれ(雑記)

自分はダメだなと思ってしまう時、私は、今できることを小さなことでいいから、やってみようとします。今自分のできることを自分らしくやってみる。上手くいかないときも、もちろん、ありますが、何もせず、うじうじしていると、自分はそれこそ、ダメな人間だという風に思ってしまい、結果、悪循環になってしまいます。少しでもいいから、今できることをやっていく。それがいつか習慣になり、時には工夫が生まれ、徐々に楽しくなってきたりします。

人間には、自分でも思ってもみなかった力があると言われます。そんな力なんてないよと思うのが、普通かもしれません。でも本来ある力にブレーキをかけているのは、実はほかならぬ自分自身だというのです。特に劣等感を抱いているときはブレーキとなるそうです。どうしても人は他の人と比べて劣等感を抱いたりするものです。この思ってもみなかった力を出すときというのは、一つには、人と比べてなんていられない状況、すなわち、必死にやらないと前に進めないときに発揮されることがあるようです。とはいっても、特別なことではないように思います。日常のことで、これは自分がやらなくてはというようなことです。ただ、自分一人では難しいというときは人の助けを求めるのはOKだと思います。そこは、背伸びしないでやっていけばいいと思います。

私はよく人と比べる癖があり、劣等感や優越感をその都度、その都度、抱いてきました。でも、それはきっと、心のどこかに甘えがあったり、隙があったり、余裕があったりというときに、無意識ではありますが、人と比べたりして、劣等感や優越感を抱いていたのではないかと思っています。ある意味、自分を客観視できていなかったと言えます。ですから、本来あるはずの力を発揮せずにいたように思います。

人が生きていくのは大変な努力が必要です。また、自分らしい人生も勝手に歩めるというものではありません。しかし、背伸びして、無理しても、逆効果です。長くは続きませんし、しんどくなってきます。でも、今できることを精一杯やってみる。すると、時間も忘れ、雑念もなくなり、人と比べることもしなくなります。また、人を見下すこともなくなります。人それぞれの苦労がわずかながらにも、感じられるようになったのだからだと思います。が、決してまだ完璧な人間ではありません。

何より、たとえ小さな小さなことでも、今できることを精一杯にやることで、心が清々しくなります。これを継続できるように私も努力しています。

日常のあれこれ(悩みの解決ヒント)と題して、今できることを精一杯にやるということに対して私の考えを簡潔にまとめてみました。(あくまでも私見です)また、深く考察できればなと思っています。ありがとうございます。(読みづらくてすみません。もっと上手に文章が書けるようになりたいです。)ご覧くださった皆様の暮らしの何かしらのヒントになりましたなら、嬉しく思います。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。3回目の投稿となりました。楽しみながら、コツコツとブログを作成してまいりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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