甘さひかえめ

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poemblogへようこそ。ご訪問くださり、ありがとうございます。今回は、詩12篇と雑記1なります。ご覧になって何かを感じていただければ、とても嬉しく思います。さまざまな事象をモチーフにして書いています。つたない詩の作品ばかりですが、どうぞよろしくお願いいたします。あなたの心に届きますように。【16回目の投稿】

もうこれはだめ

聞く耳を持たないのみならず
科学的根拠も
その事実も
全否定してしまうのだから
もうこれはだめなのではないかと
思ったのです
一度だけでも
受け入れてほしかった

曇りと晴れ


眼鏡が曇っているかどうかは
眼鏡をかけてみたらよくわかるが
心が曇っていても
眼鏡のようにはいかず
当事者は気づかないまま
轍はそのままでつくられていく

このサイトについての詩


読者の皆様にとって
このサイトに起こした詩について
つまらない
よくわからないなどと
首を傾げられることがままあるものと
覚悟をしております

私はれっきとした詩人ではありません
半世紀近く詩を読んだり詩を書いてきましたが
未だに詩人と名乗ることに抵抗があるのです
詩人のふりをしていることもありません

そのようなものが書く詩にも
わずかな詩句のひとつに
お読みになった後にでも
なぜか嬉しくなった
なぜか悲しくなった
というような変化があるのではないかと
秘かに思っています

がらくたばかりの詩に
そのような読後感が今後ありはしないかと
壮大にして愚かな賭けにでたのです
このサイトそれ自体が賭けなのです
いっぱしのことを言うようですが
私なりの心象を私なりにとらえた詩を
このサイトに投稿しているのです

私は万能とはほど遠い人間なのです
できることも限られているようです
詩はそのひとつ

私の内面の危うさ
未来に対する葛藤
生活上に起きる苦や楽などなどを
心象にしてとらえ
詩にしている訳なのです
私を手放し解放されたい
これによって動かされ詩ができている

趣味とは人間にとって何なのでしょうか
この答えを知らぬままなのです

感覚的に
私は趣味で書いている訳でもなく
プロとして書いている訳でもないのです
必然
多くの言葉の中から選ぶとすれば
これなのです

小さな小さな自分自身


小さな小さな自分自身を拠り所にしたら
先入観であるとか
偏見であるとかを
おおいに好む

小さな小さな箱に閉じ込められている
小さな小さな自分自身は
小さな小さな出来事にも
揺れ動く

脱出するほどのエネルギーがない
大きな大きな自分自身を知らないから
エゴという名の箱を打ち壊す
そんな自分自身がいるとも知らず

あなたの願い


来る日も来る日ものことのようです
周りの人の幸せを願い祈る人
神や仏でもできないのではないか
誰かの犠牲によって幸せを得るなんて
鬼や魔物でもできないのではないか
すべての人が幸せになるという考えが
この世の中に浸透しているように見えて
浸透していない

悲しみに泣き叫ぶ
絶望に追いやられる
不条理に絞めつけられる
運命のめぐりあわせの悪さにもよる
間違ったことなどしていない
今後も
間違ったことなどするはずもない

経験は経験しただけでは駄目なのだ
経験を存分に生かす
魂にはその素地があるはずだ
右往左往することなく
魂を呼び起こすのだ

魂に宿る
妙なる光は
嵐にも消えることがない
あなたの魂をより強固にし
道を開いていくことでしょう
果てしない草原に
存分に身を委ね
微笑みが絶えない

長い間求めてきた
現実との格闘の果てに得た
ありのままの
あなたの願い
あなたの歓喜の歌

沸騰


今夜は
僕の君への思いが最高潮だ
内面が沸騰している
きっと手紙が書きたくなるだろう
そう 
思いの丈をぶつけるのだ
便箋を小脇に
ペンを耳と頭の間にすでにはさんでいる

感受性


鋭敏すぎるほどの感受性に
打算があるだろうか
むしろ悲壮味を帯びている
心は戦場である
休息はないのだ
音は広大無辺である

注意深く


時間にはトリックが潜む
自発的で能動的であったのだろう
そのトリックによって
行ったり来たりはしなかった
それでも注意深く
順応したのだった

バケツ

森の奥に湧いている
誰も知らない清らかな泉の水を
バケツ一杯に汲みあげるのです
その水がなくなれば
私もなくなるのです
バケツから汲んだ湧水が
洩れることだってあります
それまでにやるべきことを
やる必要があるのです
ただひとつしかありません

ふと鮮やかな星空を眺めた
無数の星は
何のために存在しているのだろう
こう考えた私は
何のために存在しているのだろう
わからない
答えもない
星も私も必ずいつか滅する
滅するとは
どういうことなのかもわからぬままに
次の問いを発する
何のために生まれてきたのだろう
星も私も一体何者なのですか

暁の前

暁の前
世界を君臨したとばかりに
静寂と闇たちが戯れる

合理的思考の申し子よ
あれこれとあげつらって
信じようとせぬ人々

利便を追求した結末は
歯止めの効かぬ衝動的欲望と
多様と複雑な不平不満の絵図

静寂と闇に支配されていたこの世界を
太陽の絶大な存在によって
ついには心を照らされる人たち

秘訣


満足感に浸るためなら
勇んで何にでも参加する

社会生活に
どれだけ影響を受けているか認識できない

自分はこのような人間かを
知りたい欲求に応えた新手の手法

他者を意のままに操れる秘訣を求める人は
意外と自分の拠り所が弱々しいはずだ

表すこと


言葉に表すことのできないほどだ

苦しみが
始めて見る色彩に(何色というべきか)
染まりゆく砂漠に埋もれ苦しんでいる

この広い宇宙は
莫大な生産と消費を繰り返している

わたしは生を生産も消費も
数値に表すことのできないほどだ

沈黙は誰かの声を聴くためである
理解するための沈黙であると教えられた

私は誰かに聞いてほしかった
出そうにも声が出せない

これは沈黙なのではない
苦しみが立て籠もり声を奪っている

日常のあれこれ(雑記)


今日という一日を平穏無事に終われるということが、当たり前のことではないように思えてきました。長い一生、思わぬ出来事に出くわすことがあります。努力して立てた計画が無残にも葬り去られたこともありました。ある悩み事で床にはいっても眠ろうにも眠れず、朝まで起きていたこともありました。天候と同様なのでしょう。澄みきった晴れの空もあれば、黒々とした雲が空一面を覆う大嵐の時もあります。天候が常に同じでないように、いつも平穏無事ではない。晴れもあれば嵐もある。これを繰り返していくのでしょうね。

様々なことが起きると、泰然自若などしていられず、どうしても振り回されてしまいがちなのですが、もう少し冷静さがあればと、反省すること多々です。そうすれば、心に余裕ができ、解決などの選択肢も増えるだろうし、力をつける良い経験として残るだろうと思うのです。全面的にプラスの方向にも進み、結果として、平穏無事で終えることもあるかもしれません。


最後までご覧くださり、ありがとうございました。何とか年内に16回目の投稿を終えることができました。17回目の投稿準備を進めておるところです。再度、年内に投稿ができればと願っております。いつもありがとうございます。今後とも、よろしくお願いいたします。

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